白衣の原理
研究者からは歯牙にもかけられないような状態でした。
シンポジウムやワークショップに行っても、それらの大学の若い大学院生たちがすばらしい発表をしますし、プレゼンテーシヨンもさっそうとしていました。
わたしは、こういう学生たちと競争してやっていくのは大変なことだなと感じたのを覚えています。
ソーク研究所UCSDで大学院を修了したのはいいのですが、そのときにこれから一流の研究者になっていくためのむずかしさを痛感して、少々機先がそがれていました。
そういう状態から救われたのは、実は博士号(phD)を取得した後でした。
いわゆるポストドク(ポストードクトラルーフェロー)として移動した、ソーク研究所のR研究室が、わたしの少しなえた気持ちを回復してくれたのです。
R賂士はイタリア出身でウイルス学が専門ですが、アメリカのGで分子生物学を取り入れたすぐれた研究をして、サンディエゴにあるソーク研究所に移ってきました。
ソーク研究所は、ポリオワクチン(ソークワクチン)を発明したジョナス・フーグが、民間から大量に集まった資金を使って、私立の世界的な基礎研究所をつくるということではしまった基礎医学研究所です。
場所はUC車で五分くらいのところで、太平洋に面して二つの大きな建物かおり、真ん中にきれいなコートヤードかおる、ほんとうにすばらしい研究所です。
分子生物学は、分子レベルで生命現象の根幹にかかわる原理を解明していく学問です。
複維な動物や人間を使わなくても、細菌のような単細胞のかんたんな生物でも、分子レベルでは同じような現象があるにちがいないという確信のもとに、なるべくかんたんなシステムを利用して研究を進めました。
細菌や細菌に感染するバクテリオファージを材料にした研究が進み、そのおかけで分子生物学は飛躍的に発展したのです。
一九五〇年代の半ばから六〇年代の終わりごろまでご飛躍的な発展をつづけた結果、分子生物学の黄金期が来たのです。
ところが、六〇年代の終わりになると、少し経つとわたしがポストドクとして研究生活を送ろうとしているころ、若い研究者たちのあいだに、この分野にはミステリーが少なくなってきているのではないか、という危機感のようなものかありました。
そこで、バクテリアやブージを使った研究ではなくて、人間を含めたもっと高等な生物に特有な生命現象(発生、分化、がん、遺伝病、免疫など)を解明していかないと、未来はないのではないかと思ったのです。
若い研究者は未来に対して非常に感度が高いですから。
ただしそうは言っても、動物のシステムを使っておこなう研究は非常にむずかしいし、それに必要な研究方法がないということで、ジレンマがありました。
そういう状況のなかで、ソーク研究所のD研究室は、DNAタイプのがんウイルスを使って分子生物学の研究をしていました。
がんウイルスは、ゲノムのサイズは非常に小さい、つまり遺伝子の数は少ないにもかかわらず、動物細胞に感染するのです。
そのため、がんウイルスと動物細胞の相互作用を研究することもできます。
だから、それまでのよりかんたんなバクテリオフ″Iジとバクテリアを使ったシステムと、将来の動物細胞そのものでおこる現象のシステムとの橋渡しの系になるのではないか、という考えをわたしはもったのです。
その分野の世界の第一人者であるD博士。
D博士の研究室がすぐ道を隔てたところにあるというので、わたしはD先生に、あなたのところでポストードクトラルーフェローとしてトレーニングをしたいと電話をしました。
D研究室は、非常に人気があったので、すぐには入れませんでした。
しかし、一年待ってそこに入ることができました。
研究室には、わたしと同じような考えをもっか分子生物学分野の若い研究者が、何人も入ってきていました。
みんなG大学、F大学、H大学といったすばらしいところから来ている研究者です。
さらにD研究室ですでに数年間ポストドクとして研究して、いい論文を書き、名前も知られているようなシニアーポストードクトラルーフェローも何人かいました。
D研究室で学んだことわたしがD研究室にいたのはほんの二年足らずでしたが、これらの優秀な若い研究者たちと交わることによって、それぞれの分野で世界をリードする研究をするための必要な条件とは何か、ということを経験することができました。
どういうテーマを選ぶか。
どういうことはしないか。
仮説を証明するときにどのくらい確実に証明していくか。
それをどういう方法を使ってするか。
さらに一般性か非常に高いつぎのレベルの仮説を、想像力をたくましくしてどのように構築していくか。
非常にレベルの高い研究しかしない。
それ以外の研究には見向きもしない。
そういう彼らの心意気を、身をもって経験したと思っています。
研究室の運営という点でも、D先生は、若い研究者を育てるという観点に大きな比重をおいていました。
彼は、大学院生やわたしのように新しく入ったポストドクが行くと、「君は何をやりたいのだ」と聞きます。
そしてわたしたちからやりたいことを引き出して、それを批判したり、あるいはそれを再構成して、大学院の学生を含めて、それぞれの若い研究者が一人で主役としてやっていけるようなプロジェクトを決めて、やっていかせるのです。
したがって、当時、研究室の中には三〇大くらいいましたが、少なくとも三〇個のプロジェクトかおるという状態でした。
大きなグループをつくって教授が音頭をとって、そのグループの中に人学院の学生を一部としてはめこむ、ということを拒絶するシステムで研究がおこなわれていました。
こういうわけで、わたしはD研究室で、どうやってレベルの高い研究をするかということと、どうやってよりすぐれた若い研究者を育てるかという、研究者にとってもっとも大切な二つの課題について、たいへんな勉強をすることができたと思っています。
D博士は、わたしが研究室を去って四年後の一九七五年に、がんウイルス遺伝子の研究でノーベル生理学医学賞を受賞しています。
彼の研究室で育った大学院生、ポストドクのなかから、わたしを含めて四人のノーベル生理学医学賞の受賞者が出ています。
すぐれた先生と弟了の関係という点てさらにおもしろいことは、D博士自身が、分子生物学の創設者の、一人で、のちにわたしをMITに招聘してくれた、これもイタリア系の分子生物学者の故サルバドールールリア博士の研究室のポストドクだったのです。
ルリア博士は、一九六九年にノーベル生理学医学賞を受賞しています。
さらに、DNA二重螺旋の構造を解明したJ博士は、ルリア研究室の大学院生だったのです。
ということは、Dとワトソンは兄弟弟子関係ということになります。
さらに、いまF大学にいるポールーバーグ博士は、もともとバクテリアで研究していましたが、あるときやはり動物細胞のほうに行きたいというので、D研究室に来て、いわゆるサバティカルを一年間したのです。
そのときの研究がもとになって、ノーベル化学賞受賞の対象になった遺伝子組換え法を発明したのです。
P博士を入れると、ルリアから計算して、三代のあいだに七人のノーベル賞の受賞者が出ていることになります。
わたしのビザは、一八ヵ月のポストドクートレーニングが終わったところで、一九七〇年末に切れることになっていました。
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